最大効用を目指して

私と同じことで困った人が、私と同じ手間をかけなくて済むように

最大効用を目指して

ブログを開設しました。

みなさんは最大効用という概念をご存知でしょうか。経済学の概念です。

一言でいえば、幸福感を表します。「りんごを食べておいしい」、「友達と遊んで楽しい」、「モノを買ってうれしい、使ってうれしい」などなど...

この概念が僕にとって、日常の些細な意思決定をするのに非常に役立っています。

ということで、このブログは「最大効用を目指して」と名付けようと思います。

僕は最近生活の効率化、工業化にハマってるので、それについて書こうかなと思ってます。

誰の役に立つかもわかりませんが、同じことをしようと思った人がいた時に、模索するのではなく検索して時間を短縮できるように...

Google Chromeのアドレスバーから、メルカリの商品検索を行う方法

簡単です。

 

chrome://settings/searchEngines

 

にアクセスしてください。

 

f:id:mutsu00062:20190207093913p:plain

上の画像の、「追加」をクリックすると、以下のような画面が表示されます。

 

f:id:mutsu00062:20190207094017p:plain

このように設定。

 

各項目は以下をコピペすればよいです。

```

mercuri
mer
https://www.mercari.com/jp/search/?keyword=%s

```

 

終わったら、検索バーに「mer」と打ち込んだ後、スペースキーを押してみてください。

 

f:id:mutsu00062:20190207094124p:plain

 

このようになったらOK。そのまま検索すれば、メルカリで検索ができます。

 

「mer」+スペースというのが嫌な人は、「検索エンジンの編集」画面で、項目に打ち込む文字を変えてみてください。

 

以上です!色々登録すると割と便利。

 

f:id:mutsu00062:20190207094604p:plain

 

自動登録されているものも多いので、キーワードを自分好みにカスタマイズしています。

お役に立てれば幸いです。

僕は仕事というものに期待をし過ぎていたのではないかなと思った話

最近思うのは、僕は仕事というものに対し、期待をし過ぎていたのではないかということ。

仕事のできる人間、手に職、仕事を通じて業界で有名になる...等々。

仕事というのはやらされることであって、その内容は自分の自由には決められない(決められることもあるが、範囲があるし、『これはやりません』ということは難しい)

手に職のつく作業ばかりをできるわけではないし、有名になりたい業界に関われる業務に必ずしも関われるとは限らないのだ。

反対に、「好きなことを仕事に」という、出来不出来はともかく仕事を楽しもうというのもある。これも穴があるな、なんか違うなと思っていて。

「好きなことを仕事に」してしまうと、責任が伴うことで好きなことが好きでなくなってしまう可能性がある可能性と、好きなことを仕事にする過程で、やりたくない雑事が発生し、それを行う必要が出てくる可能性がある。

必ずしもこれが人生の幸せにつながるとは思えない。

結局、お金を継続して稼ごうとすると、その作業には「めんどくさい」とか、「やりたくない」という要素が付いてまわる。これは仕方のないことなのかもしれない。

だからこそ、あまり仕事には期待せず、仕事は仕事と割り切って(自己実現の手段とか、好きなことをそこに据えるとか考えずに)、淡々と適度にこなして、定時で帰って、人生の充足感は定時後のオフタイムで生み出すというのがいいのかもしれない。

 

※途中、主語が大きくなった(もしくはなくなった)ような気がしますが、あくまで僕の主観と、僕の選択に伴う人生観の話ですのでそこのところ、よろしくお願いします。

なぜ僕は安売り、バーゲンに興味がないのだろうかという話。

ふと日記を書いていて、考えがまとまったので書き留めてみる。

僕はなんで、安売り、バーゲンに興味がないのだろうかという話。

 

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コンテンツの、その作者までフォローしようと思う人って少ないんだなぁという話。

僕はよくあるんだよね。好きなコンテンツ、よく使ってるコンテンツがあったら、その作者のtwitterやブログ探して、「どんな人がこのコンテンツ作ってるのか」について調べてみるの。

 

この前、よくお世話になってるnote.nkmk.me/っていうpython記事書いてる人のtwitter探しに行ったのね。

「nkmk.me twitter」って検索しただけなんだけども。

 

めちゃくちゃ少ないんだよね、その知名度に比べてフォロワーが。

たぶんブログに比べて、そこまで知られてない。そこまでする人が少ないんだなぁって。

 

 

もちろん前提として、これはコンテンツによるところが大きいと思う。

ただ、ブロガーとかは、ブログが有名になってもその作者が自動的に有名になることはないんだなぁって思った次第。

 

まあ割と事業で成功したような人も、そんなに生活は変わらないっていうし。ひろゆきとかも、そんな風に言ってたし。

 

僕らはついつい、なにかしらの自分で生み出したサービスが有名になったら、自動的に自分も有名になるように想像するけど、

そう簡単にはいかないのかもね。

書評 隠れ増税 なぜあなたの手取りは増えないのか

日本が重税国家であるという認識はありませんでした。スペインやフィンランドなどの福祉国家に比べ、税は軽いのではと考えていました。
「はじめに」における、著者の「日本の国民総負担率は、日本の行政サービスの充実度や質を考えると、実質的に非常に高い」という意見については、やや強引に感じながらも、
税が十分に還元されていないことを日々感じている身としては、納得のいく意見でした。

第一章では、アベノミクスに言及しています。私はアベノミクスにそれほど悪い印象は持っていませんでしたが、同時に深い知識も持っていませんでした。
著者は「トリクルダウン」の効果を否定します。異次元緩和であふれたマネーはまず、日銀当座預金の「超過準備」枠にブタ積みされたと著者は主張します。
超過準備枠においては、年率0.1%の利子が付きます。銀行がその行動をとるのは自明ですね。

2016年の1月から、政府はマイナス金利政策を採用しました。一定額以上の超過準備預金に-0.1%のマイナス金利を課すものであり、この超過準備枠にブタ積みされた銀行の資金を、市場に流すのが狙いです。
しかし、マイナス金利を課された超過準備預金は、市場ではなく、国債市場にその多くが流れたと著者は主張しています(この主張に関しては話が難しく、未だ理解できていません)

この書籍で印象に残った主張は、財務省が消費増税を唱える理由として、消費税が安定しているという性格を持つからだ、というものでした。
この主張は納得できました。

その後は、所得税や資産税に関する著者の「高すぎる」との主張が続きます。
私は再分配すべきとの考えでしたが、徴税を強めるほど資産フライトや節税・脱税が行われることを考えると、たしかにこのまま高い累進課税を維持していくのは無理かもしれないと考えるようになりました。
著者は課税を弱めた方が、却ってそれらの行為は減少し、徴税総額は増えるのではという主張をしています。

本書を読んで、税金を払いたくなくなりました。
現在の日本の徴税は私の知っているよりも相当ゆがんでいるようです。また、富める者から取り、下の者に分配するという再分配は、最低限にしておかないとゆがみを生むと感じました。

将来の自分になじられても言い返せるような意思決定をしようという話

意思決定というのは難しい。

今日の晩御飯を何にするか。そういう意思決定はまだ比較的簡単だ。今の自分に聞いてみれば、自ずと答えは出るだろう。

難しいのが、将来に関わる意思決定だ。

将来に関わる意思決定では、未来の自分がどんなことを考えているか、未来の社会(自分の周りの状況)がどうなっているかについて考えないといけない。しかも、往々にして、それらに関する情報はわからない。予想するしかない。

時間をかけて情報収集すれば、少しずつ情報は明らかになっていくし、将来に関する予想も、自分にとって納得のいくものになっていく。

しかし、こういう意思決定というのは大概そんなに時間をかけられるものではなく、締め切りがあったり、考えてばかりだと全く手が付けられなくて、結局やらずじまい、、、ということになりかねない。

結局、意思決定が難しいのは情報不足に原因があるのだと思う。全知全能の神のように、あらゆる過去未来に関する情報が入手できたとしたら、だれも意思決定には困らないだろう。

だから、情報不足を承知の上で意思決定をしなくてはいけない。それは仕方ないことなのだ。

しかし、情報不足のまま意思決定を行うと、おそらく不安がつきまとう。だから僕らは迷ったり、悩んだり、もっと情報を集めたりする。失敗したくないからね。

意思決定には失敗がつきものだし、後悔している過去の出来事は誰にだってあると思う。そして、これが意思決定において足を引っ張る。

でも、情報不足は承知の上で意思決定をしないといけない。

その時の不安はすさまじいものだよね。そして、後からの後悔がすごく怖い。

そんなときは、将来の自分に「なんであの時の自分はこんなことしたんだ...」って責められても、「仕方ないじゃん、当時持ってた情報考えて、導き出せた最高の結論はこれだったんだよ」と言い返せるような、納得できる判断をするようにしている。

これはひとつの区切り。いつまでも意思決定に時間かけてるとキリがないから。だからと言って、全く熟考せずに意思決定するのは流石にできない。

「意思決定にどこまで手間を、時間をかけるのか」というひとつの区切りとして、僕は「将来の自分に責められても、言い返せるような、責任のとれるような、意思決定」をするようにしています。