最大効用を目指して

私と同じことで困った人が、私と同じ手間をかけなくて済むように

将来の自分になじられても言い返せるような意思決定をしようという話

意思決定というのは難しい。

今日の晩御飯を何にするか。そういう意思決定はまだ比較的簡単だ。今の自分に聞いてみれば、自ずと答えは出るだろう。

難しいのが、将来に関わる意思決定だ。

将来に関わる意思決定では、未来の自分がどんなことを考えているか、未来の社会(自分の周りの状況)がどうなっているかについて考えないといけない。しかも、往々にして、それらに関する情報はわからない。予想するしかない。

時間をかけて情報収集すれば、少しずつ情報は明らかになっていくし、将来に関する予想も、自分にとって納得のいくものになっていく。

しかし、こういう意思決定というのは大概そんなに時間をかけられるものではなく、締め切りがあったり、考えてばかりだと全く手が付けられなくて、結局やらずじまい、、、ということになりかねない。

結局、意思決定が難しいのは情報不足に原因があるのだと思う。全知全能の神のように、あらゆる過去未来に関する情報が入手できたとしたら、だれも意思決定には困らないだろう。

だから、情報不足を承知の上で意思決定をしなくてはいけない。それは仕方ないことなのだ。

しかし、情報不足のまま意思決定を行うと、おそらく不安がつきまとう。だから僕らは迷ったり、悩んだり、もっと情報を集めたりする。失敗したくないからね。

意思決定には失敗がつきものだし、後悔している過去の出来事は誰にだってあると思う。そして、これが意思決定において足を引っ張る。

でも、情報不足は承知の上で意思決定をしないといけない。

その時の不安はすさまじいものだよね。そして、後からの後悔がすごく怖い。

そんなときは、将来の自分に「なんであの時の自分はこんなことしたんだ...」って責められても、「仕方ないじゃん、当時持ってた情報考えて、導き出せた最高の結論はこれだったんだよ」と言い返せるような、納得できる判断をするようにしている。

これはひとつの区切り。いつまでも意思決定に時間かけてるとキリがないから。だからと言って、全く熟考せずに意思決定するのは流石にできない。

「意思決定にどこまで手間を、時間をかけるのか」というひとつの区切りとして、僕は「将来の自分に責められても、言い返せるような、責任のとれるような、意思決定」をするようにしています。